国内最大の製糸工場で、今や日本に残る2つの器械製糸工場の1つでもある碓氷製糸。
海外の生糸に押されて国内の養蚕・製糸業が衰退してゆく中、規模は縮小しながらも昭和34年の創業当時と変わらず生糸製造を続けてきました。
そんな碓氷製糸の生存戦略を、常務の土屋さんは日々考えています。
業界の現状をお伺いした前回に引き続き、富岡製糸場の世界遺産登録10周年の今年、土屋さんが挑戦していることや、叶えたい大きな夢について伺いました。
地域で生み出す復活への「うねり」
ー富岡製糸場の世界遺産登録で起死回生への糸口が見え始めた中、土屋さんは今どのような取り組みに力を入れているのでしょうか?
土屋さん:
昨年度は、群馬県の「サウナ・スパ関連商品等開発支援事業」で桐生の織物事業者や高崎経済大学などと連携し、桐生織の最高級絹織物である「御召」を使用した肌掛け布団と作務衣の試作品の製作を行いました。
県が推進する「リトリートの聖地」を背景に温泉県・群馬の温泉文化の知名度と「シルクカントリーぐんま」の相乗効果で、本県の絹産業が見直される動きをつくり出したかったのです。
現在も県内の温泉旅館・ホテルへの売り込みを行い、より多くの温泉利用者に群馬のシルクの品質、そして織物の技術の高さを知ってもらう機会を増やそうと奮闘しています。
蚕・生糸はもとより、シルクに触れる機会も少なくなってきた現代においては、1人でも多くの方に養蚕・製糸業や繊維の女王と呼ばれるシルクの良さを知ってもらわなければ、起死回生への大きな動きを作り出すことはできません。
そのため、今でも稼働している碓氷製糸や製糸業に対して理解を深めてもらう取り組みとして、当社の工場見学者を増やしたいと思います。そこで今年は、富岡製糸場の世界遺産登録10周年を記念して、6月から10月までの土曜日はプレゼント付きの見学会を開催することに決めました。
当社はその立地から、軽井沢を訪れる観光客の方が立ち寄り、製品を購入していただくこともあります。その際、せっかく足を運んでいただくのに、ただ製品を購入いただくだけではもったいないからです。
さらに、来年2025年4月「ぐんまフラワーパーク」のリニューアルオープンや、2027年開業予定の安中市の道の駅なども追い風にしたいと考えています。
具体的には、フラワーパークで販売することを前提とし、花のデザインや花のエッセンスを使用した新製品の開発を検討しています。フラワーパークには花が好きな女性が多く訪れるはずなので、憧れの「シルク」と「花」のコラボ商品は好まれるのではないかと思ったからです。
また、2年後にオープンを控える安中市の道の駅では、碓氷製糸のシルク製品に加えて、絹飴や絹うどんなどの食品類もラインナップし、道の駅の魅力向上にも貢献したいと考えています。
こうした、自分たちの力だけでなく地域や行政も巻き込んだ活動が、やがて大きな「うねり」を生むのではないかと思っています。
富岡製糸場を再び「製糸場」に
–そのような地域一体となった取り組みの先に、どのような未来が待っているとお考えなのでしょうか?
土屋さん:
かねてから考えている夢の実現に、大きく一歩近づけるのではないかと思っています。この養蚕・生糸業の生存戦略において欠かせないのが、今年世界遺産登録10周年を迎える富岡製糸場です。
私は、富岡製糸場の繰糸機を再び動かしたいと思っています。
昭和62年(1987年)に操業を停止した富岡製糸場は、今見学に訪れても当然稼働していません。国宝の繰糸所に設置されている自動繰糸機には透明なビニールがかぶされ、往時の姿を今に伝えてはいるものの、当時の活気や実際の繰糸機の動きや仕組みがわからない現状には見学者が口を揃えて残念がっています。
富岡製糸場の自動繰糸機を再稼働できれば、その景色はきっと壮観で魅力は倍増すると思います。世界遺産の登録から10年、来訪者が落ち込んでいる富岡製糸場の、起爆剤の役割を果たすに違いありません。
また、実際に工場として動かすことには日本国としての責務があります。
それは、産業遺産である富岡製糸場を、世界遺産条約の第5条に適合する遺産にすることです。
この第5条には、「文化及び自然の遺産の認定、保護、保存、整備活用及び機能回復に必要な法的、科学的、 技術的、行政的及び財政的措置をとる。」との記載があります。私はこの文言の中の、「機能回復」という言葉に注目しています。
富岡製糸場は工場であり産業遺産です。理想の保存方法は、生きている製糸工場として稼働することに他なりません。ですが、その実現には時間がかかるため、今から我が国の養蚕と製糸技術者を守り、育てる取り組みがないと間に合いません。
再稼働によって産業遺産である富岡製糸場の価値をさらに高めるためには、国民的な合家を得ながら、養蚕農家と製糸技術者も一体に存続できる仕組みを作らなければならないと考えます。
しかも、再び富岡製糸場で生糸を作るとなれば、世界遺産で製造された生糸として間違いなく大きな付加価値が加わります。「世界遺産ブランドのシルク」、その実現は当社のみならず、地域全体・業界全体も活性化することになるでしょう。
できる、でも今しかできない
土屋さん:
世界遺産を再び稼働させるとなれば、群馬県だけで解決できる問題ではありません。文化庁をはじめとした国との交渉など、さまざまな壁にぶつかることになるでしょう。
とはいえ、私は群馬県と当社、そして地域が力を合わせて活動している今なら可能性はゼロではないと思っています。
むしろ、今を逃せば実現の見込みは格段に薄くなります。あと10年もすれば、すべてが無になっている可能性も否定できません。
例えば、繰糸機を完璧に扱える技術者、つまり当社の工場長のような人物の存在がなければ実現は不可能です。
ところが、工場長も今年で73歳。5年後に現役でいられる保証はありません。だから今しかできない。
そして、養蚕農家の高齢化も進んでいる現状も考慮すれば、まさにここ2〜3年が勝負なのです。
昨年度の「サウナ・スパ事業」をはじめ、群馬県や地域の関係者の皆さまにはいつも背中を押していただいています。ここまで周囲に応援してもらえる株式会社は、そうないのではないでしょうか。
「繭と生糸は日本一」、「シルクカントリーぐんま」を誇りとしながら、私は全力で、そんな周囲の皆さまの期待に応えたい。
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」とともに、群馬県の養蚕・製糸業を地域一丸となって未来に残すことが私の夢なのです。
まとめ
戦前の長い間日本に外貨をもたらし、近代化を支えた生糸の生産量は今やピーク時の0.02%まで落ち込んでいる。そんな中、国内最大の製紙工場である碓氷製糸株式会社は、県や地域と協力することで養蚕・生糸業の認知と需要の拡大の道を模索しているところだ。
2014年の富岡製糸場の世界遺産登録から、養蚕農家の増加や農福連携の取り組みなども始まり、再び群馬の「シルク」が注目される流れが生まれている。養蚕農家や製糸技術者の高齢化が進む中、復活へのラストチャンスとも言えるこの機会を逃す選択肢はない。
東京から群馬に移住したフリーランスライター。