若き芸術家の軌跡~山田かまちの世界を巡る~

はじめに

はじめまして、学生ライターのいっちーとひかりです。記事を閲覧いただきありがとうございます。記念すべき第1回目の取材記事ですので、ぜひ最後までご覧ください!

記念すべき第一回目、「群馬の歴史」として私たちは「高崎市山田かまち美術館」を取材させていただきました。幼い頃よりその才能を垣間見せ、多くの作品を作り出してきた山田かまち。こちらの美術館では、そんな彼の生きてきた鮮明な記憶と心の中を絵画や詩を通して覗くことができました。

また今回、特別な許可をいただき、かまちについてのエピソードやいくつかの作品を掲載できることになりました。一部とはなりますが、「山田かまちの生きてきた歴史」についてその魅力をお伝えさせていただければと思います。

読後はぜひ、「高崎市山田かまち美術館」に足を運んでいただき、すべての作品をその目で ぜひご覧いただきたいです。

山田かまちについて

山田かまち(やまだ かまち)は1960年7月21日、群馬県高崎市に生まれました。幼少期から絵を描くことや詩を書くことに並外れた才能を発揮し、その独特な感受性は早くから注目されました。

《水牛》1969年 水彩・紙

この水牛の絵は、山田かまちが小学校3年生の冬休みの宿題として描いた作品です。冬休みの最終日の夜、自由研究の宿題をまだ終えていなかったかまちは、1時間程で52点の動物画を墨だけで描きあげました。驚くことに頭の中の記憶だけを頼りに描いたものです。お母様の提案で、この時描いた動物画の中から32点を選び、色を付けて提出しました。当時の担任だった竹内俊雄先生は、その表現力に驚き、芸術の支援者として多くの足跡を残した井上房一郎氏のもとにかまちさんを連れて行くほどでした。

中学生になると、海外の友人を求めて世界各地にペンフレンドを作り、文通のやりとりをするようになりました。そんな中で出会った秋田のペンフレンドの1人が、かまちにビートルズを勧めたのですが、それをきっかけに彼はロックに熱中するようになります。

《プリーズ・ミスター・ポストマン》1975年 水彩・鉛筆・紙

この作品、プリーズ・ミスター・ポストマンは、彼の文通(郵便)とロックが重なった作品です。

ビートルズの曲である「Please Mr. Postman」は、恋人からの手紙を待ちわびる心情を歌った曲です。歌詞の内容は、主人公が恋人からの連絡を切望し、郵便配達員に手紙が届いていないか、繰り返し確認してもらう様子を描いています。彼もまた、多くのペンフレンドと文通を交わしていたので、郵便配達員への日頃からの想いも重なったのか、この曲を絵に表現しています。

彼は高校受験に一度失敗し、充実した1年間の予備校生活を送ることになります。予備校では、好意を寄せる女の子に出会います。その恋心や不安に揺れ動く一方で、厳しい受験勉強の環境も重なり、心が揺れ動くことで、多くの作品が生み出されました。その中でも、自身の人生について書いた詩や恋人への想いを綴った文章は、なんとも心に響く内容になっており、心酔必至な作品です。

1977年、かまちは群馬県立高崎高等学校に入学しました。しかし、同年8月、山田かまちは17歳という若さでこの世を去りました。エレキギターによる感電事故でした。彼の突然の死は多くの人々に衝撃を与え、その才能を惜しむ声が広がりました。

かまちの死後、彼の作品は多くの書籍や展覧会で紹介されました。詩集や画集が出版されることで、彼の作品は広く知られるようになり、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。山田かまちの作品は、彼が生きた時代やその内面世界を垣間見る貴重な資料として評価されています。

作品紹介

美術館を、取材させていただき、たくさんの作品の中から読者の皆さんに紹介したい作品を3つピックアップいたしました。

※なお、今回は特別な許可をいただいての作品の掲載となりますので、館内での作品の写真撮影、動画撮影等はご遠慮ください。

1.《青い自画像》1975年 水彩・紙

山田かまちを代表する作品の1つ。本来の「自画像」とは異なり、かなり抽象的なシルエットなのが特徴的です。また、幼い頃よりかまちが好んだ青色を基調として描かれ、驚くことに胸元に見える朱色はこの青色と補色の関係で、お互いの色を引き立てています。その美しさに見惚れてしまうけれど、どこか葛藤を含んだ心持を抽象的に表現したようなそんな作品だと感じました。

2.暗い世界からー 1975年5月7日

絵画に加え、多くの詩を綴ってきた山田かまち。その中には自分に言い聞かせるような詩が多く、同じ言葉を繰り返すリフレインという技法がその熱と力強さを感じさせます。「何のために生きるのか?」という問いかけは誰もが人生の中で出くわしますが、かまちの「求める」もの、そして「暗い世界」とは何だったのでしょうか。

3.《男と女と馬》 鉛筆・紙

幼いころから気になったものは何時間もかけてじっと観察していたかまち。この作品では男女の肉体、そして馬の胴体、手足と、その生物の特徴を驚くほどに捉えています。かまちの持つ唯一無二の観察眼と、抽象画だけでなく、写実的なデッサンであっても表現が巧みであるということが表れた一枚です。

おわりに

山田かまちの没後、井上房一郎氏の尽力により開催された山田かまち水彩デッサン展を契機に、1992年に「山田かまち水彩デッサン美術館」が開館しました。この美術館は2014年に高崎市の市有施設となり、現在も運営されています。山田かまちの作品を後世に伝えるために尽力してきたこの美術館を訪れ、彼の人生と作品に触れてみてはいかがでしょうか。

ここでは触れられなかった山田かまちのエピソードや作品も数多く展示されており、新たな発見があることでしょう。

最後に、取材にご協力くださった「高崎市山田かまち美術館」の皆さんに感謝いたします。

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